ＳＣＯＲＰＩＯ　ＮＩＧＨＴＳ
　
85年：リーガル・フィルムズ
監督：ペケ・ガリアーガ
主演：アンナ・マリー・グチェレス
　　　 オレステス・オヘダ
　　　 ダニエル・フェルナンド
　　　 ユージン・エンリケス
　　　 アマンダ・アモーレス
　　　 マイク・オーストリア
　エロティシズムというのは芸術の題材となる重要な要素の一つだが、こと映画になるとセックスと切り離せないためか、ポルノグラフィーと紙一重といわざるをえない。それが評価を大きくわけてしまう面でもある。しかしエロティシズムが人間の欲望と一体化している以上、映画が人間の本質に迫ろうとするときに格好の題材となる。多くの映画作家が性の問題をえぐろうとチャレンジするのは、あまりにももっともなことだと思えてくる。そしておそらく性への欲求が行きつく人間の究極の悲劇を描きだしたという点では、世界のどの作品よりもフィリピン映画のこの作品が勝っていると断言できるのではないか。“歴史的傑作”という言葉を贈っても賞賛のしすぎにならないほどのもの。
　監督のペケ・ガリアーガは、とにかく丹念に生活を描写することによって、映像にどっしりとした重みを与えることに成功している。いわゆるソフト・フォーカスの映像で女体をキレイキレイにみせたり、おおらかな人間主義から愛と性を賛美しようというような視覚的な方向性からのみ美を狙った作品ではなく、リアリズムでグイグイと引っ張るタッチで進行している。どちらかといえば住居空間などの汚さをそのまま再現しているので、うっとり夢みるような甘美の世界からはほど遠い感じがする。それでも不快感が生じないのは、みごとな現実描写に対する興味が先行するからに他ならない。実際に同じような環境にあるフィリピン人にあっても、肌につき刺すように生活感がこうもにじみでていると、かえって好奇心のようなものが刺激されるでのはないかとも想像するのだが…
　この執拗なまでにリアリズムを追求したあたりが、いかにもつくりものの設定でセックスを繰り広げる神代辰巳の『赫い髪の女』などと比べて格段に説得力を持つ点であり、女性と男性の満たされぬ性欲を完璧なまでとは大げさだが、相当に深いあたりまで肉薄できたポイントである。またねっとりとした暮らしの匂いが背景にあるからこそ、わざとらしくハード・コアのセックス・シーンを展開する大島渚の『愛のコリーダ』や、大胆さをうかがわせながらも記号論的な挿入をすることによってインテリぽさをぬぐいきれないイングマル・ベルイマンの『沈黙』など、せせら笑いたくなるようにも思えてしまう。
　それにしてもなんというリアリズムであろうか。映画にはまずカレッサが通るキアポのどこかと思われる町が登場し、そこの庶民のライフ・スタイルが視覚的かつ聴覚的に描きこまれてゆく。ギターを弾く男、溶接をする作業員、カードをするヒマ人たち、荷物を運ぶ労働者たち、ほうきで掃除をする女、バスケット・ボールをする少年たち、バイクを手入れする青年、料理する主婦などなど。明らかにここには人が暮らしているというドロドロした息吹がある。それは日本の都会が失ってしまった近所づきあいというもののようにも思えるが、それぞれのシチュエーションから切り取ってつなぎ合わせたような音楽の断片と、自然に響く効果音が驚くべき効果をあげている。まさに生命の集まるゴミっぽさが漂ってくるようで、嗅覚的にも生活感の伝達に成功している。
　画面にオレステス・オヘダ扮する夜警の部屋が映しだされると、鏡の前で外出のためのおめかしをしている様子がみえてくる。彼が仕事にでかけてしまうと、アンナ・マリー・グチェレス扮する妻は部屋で一人になる。この真上の二階にダニエル・フェルナンド扮する青年の部屋があり、ともに借家だろうが、小さな家の下部と屋根裏は天井板一枚で仕切られているだけ。しかも板にはところどころ穴があいていて、のぞきが可能になっている。いやまさに、この設定がみごとで、壁にかけられた絵の裏にのぞき穴があって…　といった欧米映画と違い、住環境から不自然さがないだけに、ハッとうならせる。
　蚊帳をつった粗末なベッドで妻が寝ていると、夫が仕事から帰ってくる。夫は一人で皿にご飯を盛りつけると、黙々と食事をする。そのあと歯磨きをするとベッドへ入ってきて、機械的なセックスを始める。半分眠りながら、これまた機械的に反応する妻の様子といい、ちょっとしたサスペンスとでもいえるムードを感じさせる展開である。このセックスを上の部屋から青年がのぞいているのだが、複数ある穴のうち、みやすいものへと音をたてないように動きながら、いかにも興奮を伴ってオナニーする姿に観客のほうまでカッカさせられる。セックスだけでなく、妻がベッドの上で足の爪にマニキュアを塗るポーズを真上からとらえた構図などがピタッと決まっていることに加え、ペケの演出力にはカット割りやクロース・アップの適所の挿入など、ただただ脱帽である。妻がのぞかれていることに気がついているかいないかの曖昧さの表現もみごと。
　アンナ・マリー・グチェレスという女優は切れ目の美人だが、よく画面の雰囲気に溶けこんでいて、下町の庶民の物語から浮いていないところがよい。
　映画は青年がのぞきでオナニーすることに満足できず、こっそり妻のベッドへ忍びこんできて、寝ている間に犯すところからドラマが始動する。おそるおそる肌に手を触れながらも、うまく悟られずに射精できた青年は、日を改めて再び妻の部屋へ。今度もことが終わって逃げ帰ろうとしたときに、妻の手が青年の手をグイッとつかむ。思わずハッとするが、妻は青年を迎え入れていた。実はお互いを求め合っていた二人は、そのあと初めて歓喜のセックスを展開。映画からはジャレる二人の笑い声が響いてくる。はたして性の開放をこれほどまで納得のいく形で映像化されたことがあっただろうか。二人の表情の違い、肉体の輝き、抱きあげられたときの妻の脚のバタツキや、ベルトを首輪にようにしたり、口から口へツバを垂らせるしぐさのいずれもに感情表現がイキイキしている。
　乳首のアップまで映したオッパイはもちろんのこと、男女ともにヘアーのみならず、性器もアナルも半分みえそうになる大胆さが、隠すことの卑猥さを嘲笑するかのような印象をももたらせてくれる。
　また妻が屋根裏の青年の部屋へ棒で合図をおくる真上からのカットのあと、差しだされた手をしゃぶってもだえるシーンや、夫が帰ってきて妻がセックスするのをみて、青年が同時にオナニーするシーンなど、上下にくっつき合った空間、縦の動きをたくみに取り入れた映画として、その表現力は頂点をきわめているともいえる。
　他にビニールを雨ガッパのようにして抱き合う雨の日のシーンといった、セックスのヴァリエーションのつけかたも評価したい。雨漏れ水をためた洗面器など、小道具のつかいかたもバツグン。
　これに青年と別の娘とのエピソードがからむのだが、マニラの共同住宅によくあるトイレと水浴び場を兼ねた部屋に、アマンダ・アモーレス扮する娘が全裸になって石鹸で体を洗っている最中に青年が間違って入ってくる。鍵はあるにはあるのだが、針金一本くらいだから簡単にはずせてしまう。二人がバックでセックスするときのパシッパシッと肉体がたたき合う音が妙にリアル。考えてみればのぞきといい、忍びこみといい、はち合わせといい、プライヴァシーの低さには驚くばかりだが、おそらく日本でも戦後しばらくくらいまであった長屋では同じような環境だったのではないか、と想像させられる。
　映画はさらに妻とのセックスの最中に夫が帰ってきて青年がベッドの下に隠れるエピソードなど、とかく単調になりがちなセックス映画にあってあきさせることがない。わいせつであるかどうかといった視点ではなく、映像的な見せかたの巧みさだけでもポルノグラフィティーとの違いを感じとる。
　まあ、これ以上エピソードを紹介してもしょうがないだろう。ラストは衝撃的な悲劇となるのだが、もはや文字で批評しようといったレヴェルでは興奮を伝えきれないので、あとは作品を実際にみてもらうしかない。ただ熱帯の暑さを漂わせるようなエリー・クルースの賞賛すべき撮影もあり、本当に熱い、いろいろな意味で熱い作品である。いかにもアジアっぽい喧噪さのイメージ再生は、映画という媒体のみに許された特権的な表現力ではないかともいえる。
　文明の終焉を性が解消しないことを描こうとしたベルナルド・ベルトルッチの『ラスト・タンゴ・イン・パリ』など性とリアリズムの交差でこの作品の足下にも及ばず、頭でっかちさをぬぐえずにストレートな性からはずれたドゥーシャン・マカヴェイエフの『スイート・ムービー』や、性の自然さを謳歌しようとしながらも文芸の範囲を脱却できないケン・ラッセルの『恋する女たち』など、どこか彼方へと飛んでいってしまった。映画が誕生してから今までのところ性を題材にしたジャンルでは、この作品が史上最高峰であることに間違いない。
　個人的にはフィリピン映画からこれほどまでに１００％打ちのめされるだけのすごい作品が誕生したことに、ただただ嬉しく思う。