バンコクでもっとも嫌いなエリアの一つが、パッポンである。こことタニア、カオサンなんてところは、なるべく足を踏み入れないことにしてる。
パッポンが嫌いな理由は、観光ずれしすぎていることにつきるだろう。露店の親父から、ゴーゴーバーの売春婦まで、強欲のかたまり。まともに相手したら、腹が立つだけ。勝手にしろである。
露店でＴシャツ一枚買うだけでも、十分の一近くまで値切らないといけない。
「キミね、同じものがマーブンクロンで、いくられで売られているか、知ってる？」
こちらが相場をつかんでいても折れないから、交渉損。ようはここでは何も買うな、ということだ。
もっとも親しくなれば、話は別かもしれない。ニセモノ時計を売る屋台のあるオッサンは、町場の両替商よりもややよいレートで両替してくれたりする。 いつだったか、その屋台で、僕の友人がオッサンに変わって時計を売った。 たくみに日本語で、というか日本人だから当然だが、「どこからどう見ても本物。しかも格安。勉強しまっせ」と日本人観光客に声をかけたら、いつもの数倍売った。オッサンは感激して、「儲けを半分ずつしよう」といったが、こっちは「遊びでやったんだからいいよ」と 辞退。なんでも、観光客に相場の三倍 で売りつけるのは、すごく快感だったとか。
でも、やっぱりパッポンは嫌いだ。
夜遅くまで飲んで、ここから帰るだけでも苦労する。シーロム側の出口で待ちかまえているトゥクトゥクの運転手たちは、法外な金額をふっかけてくる。
「スクムヴィットのソイ・ナナまで。タオライ？」
「ウーン、......サムローイ」
バカいってんじゃない。
こうなったら、微笑みの国で相手を笑ってやろうということになった。
「タオライ？」
「サムローイ」
「ハッ、ハッ、ハッ、ハッ、そんなバカな。 ハッ、ハッ、ハッ、ハッ 」
目の前で大声で笑われた運転手は、キツネにつままれたような顔をしている。
すると向こうから、「いくらならＯＫか？」と聞き返してきた。
「そうだなあ。ハーシップ」
「ハッ、ハッ、ハッ、ハッ」
反対に笑われてしまった。
ここで交渉してもしょうがない、としばらく歩いて、ルンピニの入り口あたりでタクシーを拾うことになる。面倒くさいったらない。かといって、ボラれるのは腹が立つ。
まあ、そんなことはさておき、パッポンが嫌いないちばん原因は、ゆっくり飲ませてくれないことにある。どのゴーゴーバーに入っても、女の子はカネの話をするばかり。ドリンクをおごっても、カネのこと以外を話題にしようとしない。
「３０００バーツでどう？」
金額がボリボリであるということよりも、こっちはゆっくり飲みたいし、話がしたい。お連れ帰りばかりを目的にしているわけではない。その点、パッポンは期待に応えてくれないエリアである。
日本からタイが初めてだという知人が来たときのこと、「パッポンに案内しろよ」ということになった。いきなり半裸の女の子たちに囲まれ､妙に興奮している。ドリンクをたかられ、ほとんど全員にＯＫしそうな勢い。
「いいですか、好みの子が見つかるまで、相手にするんじゃないですよ」
放っておいたら、大変なことになりそうだ。とてもハシゴするような雰囲気でもない。しばらくして、「あの子がいい」とご指名が。
「じゃあ、呼びましょう」
横に座らせると、鼻息の荒さは頂点に達している。
「３０００バーツでどう？」
彼は僕に聞いてくる。
「それは日本円でいくら」「ふーん、そんなもの」「ＯＫ、ＯＫよ」
ちょっと待った。
「ダメですよ、いいなりになっちゃ。交渉しますから」
と僕が半額にまでした。彼はこれ以上ないニタニタ顔で店を出ると、さっそく目の前にあった露店で、連れ出した女の子にバッグを買ってあげている。
ちょっと待った。
またも言い値で買おうしているので､僕が駆けつけると、電卓をたたいて五分の一にまでした。
「パイ レーウ ナ ハ」
と、やっとホテルまで返してひと段落である。
翌日、彼はチェンマイへゴルフに行ったので、僕は昨夜の様子を確かめるために、同じ店へと向かった。入店するや、僕の姿が見えると、すぐに彼のお相手をつとめた女の子が飛んできた。
「いい人を紹介してくれて、ありがとう」
みたいに礼をいわれてしまう。よく聞けば、３０００バーツもらったようだ。
「そりゃ、３０００バーツも払ってくれりゃ、誰だっていい人だよな」
タイには、こんなパッポンの女にハマって貢いでいる日本人がいるというから、オメデタイこと、このうえない。本人は援助のつもりであったり、「一緒にタイで事業をしましょ」なんて持ちかけられ、家族を紹介されて投資のつもりであったりもするようだが、そのほとんどはカネを騙しとられる結果に。そんな例は、いくらでも見ている。好きにやってくれ。
どうもパッポンというのは、客の日本人観察をするには、面白いスポットであるようだ。
だからといって、例外がないわけではない。
ある日のこと、パッポンもご無沙汰だったで、久しぶりに行ってみた。某バーに入店するや、押し寄せる女の子たちがいなくなるのを待ち、一人になって、じっくりカウンターからステージを見つめながら飲んでいた。
ちなみに、女の子を早く追い払いたいなら、「日本人？」と聞かれて、「ちがうよ、韓国人」と答えればよい。韓国の人には悪いが、本当にこれで近づいてこなくなるのだから、しかたがない。
ステージには、やや日本人好みかというタイプの女の子が踊っていた。以前、僕が仕事関係で知り合い、つき合いかけた日本人の子に似てないこともない。向こうも僕の視線を察したのか、やたらチラチラ気にしはじめた。
「そこへ行っていい？」
「うーん、どうしようかなあ」
「いいでしょ」
と横にやってきた。なんとなくパッポンにはめずらしい、話せそうなタイプに思えたので、ドリンクをおごることにした。名前は忘れたが、確かに彼女は連れ出しを強要しなかった。カネのことなど、ぜんぜん切り出さない。彼女の 出身地などの話をして、けっこう弾んだので、正直いって楽しかった。
「また、明日もくるよ」
と、その日は何もなく帰った。
そして翌日のこと。僕が店へ入ると、彼女はすぐにステージから手を振ってくる。承諾をもらうまでもなく、横に座ってきた。
「ねえ、お願い、私を連れ出して」
うって変わって、今夜はセックス体制である。
「ごめん、約束があるんだ」
金額の交渉はせず、ただ「連れ出してくれればいい」というあたりが、カネの話しかしない他の子たちと違って、そんなに印象は悪くない。でも、また来るということは、てっきりセックスしようという意味にとられたかなあ、と思うと、失敗したなあとも感じてしまう。
期待させてしまったか。
約束があるというのは、嘘ではなかった。日本の友人とここで待ち合わせしていて、新規のタイ料理店を開拓しに行くことになっていた。
ちょっとして、僕の友人が入店してくる。
「どうしたの？」
と友人。彼は僕がパッポンでお連れ帰りをしないことを、よく知っている。
「彼女がね、店を連れ出してほしいってね」
僕らの様子を見ていて、彼女が友人に話しかけた。
｢私ね...｣
カネの話を切り出そうとしていると思ったのか、友人は彼女に対して、ボケをかましはじめた。
「フジヤマ、ゲイシャ、スキヤキ、テリヤキ...」
彼女が、なんだこの人、といった感じの表情になったあと、でも話しかけようとした。「私ね...」
「トヨタ、ホンダ、ニッサン.、ヤマハ..」
ますます、この人、ヘンじゃないのという表情になる。
｢私ね...」
「トーシバ、ソニー、ミツビシ、リコー...」
さすがにあきれ始めた。
「私ね...」
「アジノモト、ヤクルト、ウルトラマン、セーラームーン、ドラエモン、キティーチャン、ミツイ、スミトモ...」
彼女はただ唖然として、ボケをかます友人を見つめていた。そして、さすがに言うことがなくなって、友人が口をつぐむと、しばらく沈黙が...
突然、沈黙を破るようにして、あきれ顔の彼女がポツリと日本語でいった。
「あんた、オオサカか」
僕はこのひと言が、すっかり気に入ってしまった。
｢一緒にバーを出るか」
彼女がいうには、
｢今夜は早く家に帰りたい。早く寝たい。だから、連れ出し料だけ払ってくれないか」
ということだった。その割には、店を出たあとも家に帰ろうとはせず、僕らの食ツアーにつき合った。
「わしら、大阪やけん」
といいながら、僕らも彼女を同行させたことはいうまでもない。
結局、彼女とはセックスしなかった。かつて交際しかけた女の子にあまりに似ていて、その子を連想させてしかたがなったからだ。
僕にすれば、めずらしくパッポンで楽しませてくれる女の子と出会えただけで、けっこう満足だった。
でも、やっぱりパッポンは嫌いだ。
